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​七代 錦光山宗兵衛 (1868~1927)

 慶応4年(1868)京都に生まれる。江戸時代より続く京都東山粟田口の錦光山窯は、父である六代目の頃から陶器の海外輸出を始める。明治17年(1884)家督を継ぎ、貫入の入った乳白色の陶器に細密な絵付けを施す京風の薩摩焼(京薩摩)で海外から絶賛される。また、焼絵付け用水金の応用法開発や様々な釉薬の発明など、意匠改革にも積極的であった。明治21年(1888)バルセロナ万国博覧会金賞、明治33年(1900)パリ万国博覧会金賞など数々の賞を受賞。
 錦光山の作品は住友春翠翁コレクションにも見受けられる。

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薩摩焼 (SATSUMA)

 慶応3年(1867)の第二回パリ万国博覧会で絶賛されて以降、鹿児島だけでなく日本の各地で乳白色の陶器に色絵、金彩を施した薩摩焼を模したものが造られるようになった。これらはSATSUMAと総称され、海外で巻き起こったジャポニズム旋風の中心に位置する。本家薩摩の沈壽官窯を初めとして、京都の錦光山窯、大阪の藪明山窯らが知られている。他にも神戸や九谷、横浜などでもSATSUMAは焼かれていたが、どの銘がどの地域で製作されたものか、特定は困難な場合が多い。

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