top of page
華車.jpg

 井村彦次郎 (1864~?) 

 明治8年(1875)頃に横濱に設立した陶磁器輸出会社の二代目。瀬戸から取り寄せた素地に絵付けをして海外輸出を行った。明治10年頃には、職工200名、画工30余名を抱えるほどの上絵付工場であったという。明治14年(1881)の第二回内国勧業博覧会での彩画磁器有巧賞、明治37年(1904)のセントルイス万国博覧会での金賞など国内外の博覧会にて数々の賞を受賞した。

華車.jpg
華車.jpg

井上治兵衛 (1854~1905?)

 安政元年(1854)瀬戸に生まれる。江戸隅田川沿いで海外輸出向け陶磁器を作っていた初代 井上良斎に請われて養子となる。

 明治26年(1893)、アメリカのシカゴで開催された万博に出品して一躍名声を高め、明治33年(1900)のパリ万博では日本代表委員の一人として参加し、自身の作品は金牌を受賞。万博閉会後セーブル製陶所に残り研究を続けたという。帰国後、体調を崩し死去。

 下絵付けの作品を得意とし、帝室技芸員の三代 清風與平や初代 宮川香山らと肩を並べた。

華車.jpg
華車.jpg

瓢池園 (1873~1909)

 明治6年(1873)に開催されたウィーン万国博覧会後、事務局附属陶磁器製造所の御用掛であった河原 徳立が東京都に設立した輸出用陶磁器の上絵付工場。有田・瀬戸などから取り寄せた素地に上絵付を行い国内外の博覧会で数多くの賞を受賞した。明治28年(1895)頃に森村組の専属工場になり、明治31年(1898)頃には吸収され、明治42年(1909)工場を閉鎖、事実上解散した。 

華車.jpg
華車.jpg

森村組

 江戸京橋の武具・馬具商であった六代目 森村市左衛門(1839-1919)が異母弟の豊(1854‐1899)と明治9年(1876)銀座四丁目に設立した会社。豊は福沢諭吉の協力の下「米国商法実習生」の一人として渡米し、明治11年(1878)森村組ニューヨーク支店(「森村ブラザーズ」)を開く。初期は日本から仕入れた陶磁器や漆器、提灯等を小売りしていたが後に卸売りに転換、輸出量が増えたことから東京と京都の絵付け工場を生地の生産地である名古屋に移転・集約した。独自の営業戦略を貫き万博等には出品していない。

華車.jpg
bottom of page